死の臨床研究会中国四国支部大会へオンライン参加

5月30日、日本死の臨床研究会中国・四国支部大会

テーマ『いのちが語り、いのちを引き取る』

こんにちは。

週末の夕方は、穏やかな時間なので作業着をきて

お父さんと庭の選定作業などでしてて

投稿時間を確保できませんでした。。

さて、この研究会は第21回を迎え今回は鳥取県が当番

会場とzoomでのハイブリット開催。会費は会員価格で1,000円

午前中は日頃から緩和ケアを実践されている医療者からの演題発表だった

がん告知後の関わり、子どもにがんのことをどう伝えるのか伝えないのか、

一人暮らしでの在宅看取り、認知症のあるがん患者と家族のことなど

すべての演題の着目されているテーマが素晴らしかった

もっともっといろいろな意見を交換したい内容もあった

特に私は「子ども」が大切なテーマの傾向にある

親ががんになったとき、子どもたちへどうかかわるのかは

とっても大切なこと。

みんなが戸惑う、こどもにこんなことを伝えていいの

ショックをうけるでしょ、やめとこう…

ひそひそ夫婦が話していることを、結構子どもたちは知っている

そして、子どもたちは、何かがいつもと違う、何かが起こっている

私のせいかな、私があの時いうことを聞かなかったから。。。とか

いろいろな考えが、人それぞれだろう

海外から、そして日本での実践からいろいろな知識、知見がある

少しずつ広がってきているけど、まだ一般には浸透してないかな

子どもが知りたいのか、知りたくないのか、さりげなく聴いてみること

そんな一歩も大切なこと

子どもの発達段階に応じた関わり方がある

そんな話を関係性の中で、勇気をもって伝えていけたらいいな

親が亡くなった何十年もたってから、当時の子どもたちが

「あの時になぜ話してくれなかったんだろう、私が頼りないから?」と

心にずっと秘めた気持ちを語ってくれたこともあった

子どもたちの力も信じたい。

ちょっとだけ、その時に子どもたちと一緒にそばで支えていたい

午後は芥川作家の平野啓一郎さんの講演。

これもオンラインでつないで

「私とは何か、個人から文人へ」というテーマ

本当の自分とは何か?対人関係の中で自分とは何者?

対人関係の中でいくつかの顔を使い分けている、対人関係ごとに分化する

分人という考え方、分人の構成比率・・・

難しい話だけど、ロジカルに話されるのでなんとなくついていける

社会的な自己の話のなかで、複数の足場、プロジェクトをもっておくこと

副業についても個人という概念ではなく分人の概念で説明されていた

やはりこれからの100年時代を生き抜くためには必要なことみたい

自宅のデスクに居ながら、こんな質の高い時間を過ごせた

コロナは悪いことだらけだけど、こんな環境も運んできた

次回は島根が当番、納棺師が登壇される企画中